代表の横顔

代表の思い

近影

 こんにちわ、株式会社W.I.N.代表取締役の近藤宙時(行政書士)です。
 名前の「宙時」は文字のまま「ちゅうじ」と読みます。おそらく日本に一人の変わった名前ですが宙時は「宇宙時代」の中二文字を取ったものです。宇宙時代の幕開けと言われる世界初の人工衛星であるスプートニクが前年に、そしてアメリカの第一号の人工衛星エクスプローラー1号が打ち上げられた年に生まれました。ですから今年で還暦を迎えました。
 定年を迎えるまでは岐阜県庁に大学卒業後入庁して以来40年近く奉職し、略歴欄にありますように主に商工・地域振興と情報企画を担当してまいりました。その経歴の中で、岐阜県内だけでなく、大手から中小零細企業に至るまで多くの企業、経営者の方々と接してきました。
 そこで、素晴らしい技術・ノウハウそしてそれを支える優秀な労働力を持ちながら、あえて困難な所謂レッドオーシャン、多くの競争相手が血で血を洗う競争を繰り広げ勝者すら満身創痍となる市場に身を投じていたり、あるいは社内にブルーオーシャンを切り開く英知がありながら、ナレッジマネジメントが巧く機能していないために、その英知を採用する事はおろか、気づくこともなく1円いや1銭、1厘でも安くと言う本来誤った標語の下で悪戦苦闘をされている事、低い利益率に甘んじていらっしゃる事を痛感してまいりました。
 本来企業経営の目的は売上げを上げる事ではなく、1円でも多くの利益を上げる事であり、少しでも利益率を高くする事の筈です。それが、いつの間にか、数の競争に巻き込まれて、文字通り身を削る経営をされているために、日本企業のROE(資本利益率)は平均で5.3%とアメリカの平均ROE22.6%の約4分の1に過ぎません。強いと言われる日本の製造業と負け犬呼ばわりされるアメリカの製造業とを比較しても、日本の製造業のROEの平均は4.6%であるのに対し、アメリカの製造業のROE28.9%と6倍もの開きがあります。
 この差は技術力やノウハウと言った実力の差ではありません。現在の日本を支える企業の殆どが戦後に起業あるいは、新規に市場を開拓した冒険者であったにも拘らず、高度成長を経て安全を何より求めるが故に創業の市場に固執してきたためであり、言葉を換えれば安全を求め過ぎて本来の経営の目的を忘れて道に迷っている結果だと言えます。
 従って、本来持っている優れた技術や蓄積されたノウハウなどの無形財産が生み出す有利性、コアコンピタンスを生かして、1円でも安くから1円でも高く、より多くの売上からより多くの利益率へと経営の舵を切るだけアメリカに負けない高い利益率を得られる筈です。
 実際、経営者の方のほんのちょっとした気づき、アイデアで高い利益率を達成された多くの企業を見てきました。その中で得たノウハウを生かして、1社でも多くの企業をブルーオーシャンへと導く進路を指し示しナビゲートさせて頂けたらと起業いたしました。分けても岐阜県庁での経歴の中で、どこの部署に移ってもその担当分野の活性戦略を立て、それに基づいて、多くの補助制度や新規事業を企画・実施・審査してまいりました。だからこそ知っているプレゼン、補助申請のコツを生かして公契約・補助を獲得、それをテコにより利益のあがる経営へと進むべき道筋を照らすナビゲーターになりたいと願っています。


代表の経歴

1981年3月
中央大学法学部卒業

1981年4月
岐阜県庁に上級職として入庁 、建築課宅建係に配属。
不動産に関する県民からの相談業務の他、不動産購入賃貸のガイドブック作成。

1988年4月
高齢福祉課施設係に配属。
日本初の認知症患者専用特別養護老人ホーム整備、個室整備に対する補助制度を
企画・実施。

1993年4月
商工課商業振興係に配属。
国際学生ファッションコンテストを企画・実施。

1994年4月
アメリカ・ロサンゼルス駐在事務所長を拝命。

1996年4月
商業振興課商業振興係長を拝命。
柳ケ瀬商店街再生計画を策定、TMO(タウンマネージメント機構)を提案。
繊維産業活性化戦略を策定

1999年4月
総務部情報システム課課長補佐を拝命。
120本あった情報システムを一括して再開発・運営委託する情報システム戦略
的アウトソーシング事業を企画・実施(日経電子自治体大賞受賞)。
この時、総合評価一般競争入札の落札者決定方法として、入札価格の逆数に比例して加点される価格点と提案内容に対して加点される評価点を足した合計点で決定する採点方法を創案。その後、官公庁を始め全国の標準採点方法となる。

2003年4月
新産業労働局監理監を拝命。
次世代アニメ戦略を策定、アニメ・フェスティバルを企画・実施、次世代経営者
に経営の基本を教授する賢材塾を企画・実施

2006年4月
観光課総括管理監を拝命。
観光戦略を策定、みんなでつくろう観光大国飛騨・美濃条例を制定、ディスティネーション・キャンペーンを企画・運営。

2008年4月
岐阜市商工労働部次長を拝命。
商工業活性化戦略を策定、鵜飼ミュージアム基本計画・設計を策定、大規模商業施設を誘致、市初の工業団地の計画策定・用地交渉完了。
2010年4月
産業経済センターデザイン部長を拝命
岐阜の酒・岐阜九蔵を企画・実施。産業戦略・ブランド戦略の策定に参加

2011年4月
総務部情報企画課長を拝命。
岐阜県情報システム危機管理計画を策定。岐阜県情報スパーハイウェイ二次計画
を策定・実施、GIS二期計画を策定。

2014年4月
商工労働部新産業振興課長を拝命。
岐阜各務原航空宇宙博物館リニューアル基本計画を策定、岐阜県製造業活性化戦
略を策定岐阜県情報システム危機管理計画を策定。

2018年3月
岐阜県庁を定年退職。

2018年5月
株式会社Wise.Innovative.Navigator(W.I.N.co)設立。

2018年6月
代表、行政書士資格の認定を受ける。